
時刻は8時10分。
ラングエッジのスタッフルームの廊下を挟んだ斜向かいに日本語を教えるための教室がある。
廊下は生徒たちが練り歩き、往来で元旦の初詣のような混雑をしていた。奇声を発しながら、朝から元気にじゃれ合っている者もいる。雨後のタケノコのようにひしめき、カオスそのものだ。それでも、もうそろそろ始業時間なので各々の授業に受けに小走りで目的地に向かっている。
日本語の教室には八年生の生徒らがお行儀よく列をなしていた。スタッフルームから出たユミさんの隣にいるボクに向けて彼らの視線が一斉に浴びせられる。一挙一動のみならず心の内面まで見透かされているようで気恥ずかしかった。
一躍脚光を浴びたアイドルみたいだ。いや、好奇の目に晒されている動物園にいる動物のようなものだ...。
2月4日・月曜日。
記念すべきダーウィン・ハイスクールの初日だ。学校なんぞ、大学を卒業したっきりだいぶ遠ざかっている。
トーストと紅茶で食事を済ませたボクはアイリーンのオンボロ・フォードに乗って、ダーウィン・ハイスクールに行く。今朝も日中の蒸し暑さと打って変わって朝の空気はひんやりしている。
ラグビー競技場とゴルフコースの脇道を抜ける。この道は学校へのショートカットだ。車内に入る陽光がやわらかで気持ちいい。緩やかな丘を駆け上がると学校に着いた。自転車や歩いて通学している子供たちがパラパラと登校している。昨日とは違ったダーウィン・ハイスクールの顔が見えた。
駐車場で車を降り、喉に魚の骨が引っかかったようなむずがゆさのままボクはアイリーンの裏をとぼとぼ歩く。
今朝からずっとアイリーンとの話は気のせいかかみ合わないのだ。タイヤはグルグル回っていたが、会話はどこか空回り...。
階段を上り、二階には数学のスタッフルームがあるので、鉄製の扉の中に彼女は消えていった。
ボクは外国語ラングエッジのスタッフルームがある三階まで一気に上がった。躊躇いがちに扉を開けた。重厚な鉄製の扉を開けるにはやけに重たく感じた。
扉を開け校舎内に入るとると廊下に出た。廊下の100mほど先が外国語ラングエッジのスタッフルームだ。誰もおらず薄暗い廊下はしじまに包まれていて、スニーカーの音さえ高く響くようだ。それに100mの道のりがやけに長く感じる。

ラングエッジのスタッフルームに突入。ユミさんはまだ来ておらず、代わりに入り口近辺のデスクで男性がひとりデスクワークをしている。
髪の毛は白髪まじりのくりくりの天然パーマで、穏やかそうな目をしている彼は、皺の多さから多分、年かさは中年くらいだろう。
彼と目が合ったので荷物を適当に置き、ボクはすかさず挨拶をしようと試みた。
消え入りそうな声で、
「グッド・モーニング。ナイス・チュー・ミー・チュー...」
ボクが云うと、間髪いれずに、
「君が新しいアシスタントだね」
と細身の男性から返事を頂戴する。
ボクは単純に「イエス」と上ずりながら答えた。
「オハヨウゴザイマス」
すると外人が話すコテコテの日本語でこう切り返される。驚きとともに彼に親しみやすさを覚えた。彼とは仲良くやっていけそうだ。
どの教科の先生かいつものように訊こうにも訊けずにいたけど、彼自ら名乗ってくれた。ギリシャ語を教えていて名はマイケルだという。
先読みされて自己紹介はままならなかったが、コンタクトはまずは成功といったところか...。
ちょうど、浅黒い男性がスタッフルームに入ってきた。若くもあるせいか校長ほどではないがそこそこの貫禄がある。マイケルと違って太めだからかもしれないが...。
彼がシニアティーチャーのケヴィンだ。ラングエッジのスタッフルームで一番偉いというわけだ。インドネシア語の先生らしく趣味のいいアロハ系のシャツを着ている。ボクはケヴィンにも挨拶をした。
ユミさんが遅れて入ってきた。
「マサさんの初日だというのに遅れてすみません」とユミさん。
耳慣れた日本語を訊いて少し安堵した。助け舟が来てほっとしているようでは、まだまだだ...。
「新しいアシスタントを紹介します」
とユミさんがケヴィンに云った。
「もう紹介は終わっているよ」とケヴィンはニヤリ。
この時点でのラングエッジのスタッフルームの先生方は...
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ケヴィン -インドネシア語
ルース -インドネシア語
ジョン -インドネシア語
マックス -インドネシア語
パク -インドネシア語アシスタント
エイドリアン -ドイツ語
マイケル -ギリシャ語
メイジー -中国語
ユミ -日本語
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といった布陣だ。場所柄か、インドネシア語に力を入れていることがよくわかる。
その内にこの先生方は話の中に登場してくると思う。
他の先生は直接、メインスタッフルームに行っているそうだ。
毎朝、7:50から全教員が一堂に会して、連絡事項などを伝達するミーティングが開かれる。
ダーウィン・ハイスクールは中高一貫で、ここに通う生徒は約1,000人。だから各教科合わせて約80人の先生が教鞭を執っている。マンモス校なのだ。
ぞくぞくと先生が集まってきた。昨日、ビーチバレーであったピーターもいる。
「へい、マサ、モーニング!」
ピーターが気取らずに片手を上げながら、にこりと笑った。
土曜日に会ったヘザーやクリス、アイリーンもすでに席に座って談笑している。昨日会った校長も前のほうに鎮座している。
ポロシャツに短パン姿のラフな服装をした先生、坊主頭だがサンタクロースみたいなヒゲをたくわえた先生、髪の色をカラフルに染め上げチャイナ服を着たレッサーパンダみたいな先生など、先生に似つかわしくないような面々がメインスタッフルームに次々に現れる。一味も二味も、一癖も二癖もありそうだ。そう個性的...。その言葉しかない。
そんな先生方の容姿を盗撮してくればよかったと後悔している...。
教室ふたつ半ほどの部屋に80人ほどの先生が集う光景は圧巻そのものだ。
ケヴィンが僕を軽く紹介したあと、うながされてボクは立ち上がった。何か話せというのだ。
ボクは彼らの前で、気恥ずかしさのまま、当意即妙で話せるわけでもなく、前もって暗記していた自己紹介の言葉を並べる。ケヴィンからはよくやったとお褒めの言葉をもらった。照れくささが残る。
何をしゃべったかはすでに忘れたが、とりあえず英語の発音はそっちのけで、しっかり大きな声で云うことを心がけたことを覚えている。
ただ、自分の名前は「マサ」と呼んでくれとだけは云ったはずだ。
もうダーウィンに来て、すでに自分のファーストネーム上半分を取って「マサ」と呼んでもらっていた。ここでもそう自己紹介した。しかし、馴染めない。ファーストネームはネックだ。それにこの「マサ」という呼び名は新日本プロレスのプロレスラーみたいでもあり、声を掛けられたりすると、わきの下をくすぐられているようで、こそばゆい...。

スタッフルームに戻って8:00を越えると、急に外がざわつき始めた。生徒たちの乾いた声が戸越しに聴こえる。予鈴も鳴っていた。8:10から始業時間を知らせている。
スッタッフルームを出ると耳をつんざくような騒々しさの波がうねりとなって押し寄せた。生徒たちが廊下に溢れかえっている。日本のラッシュアワー並みだ。7時過ぎの静寂ぶりがウソのようだ。
小競り合いをしてはしゃぎ回っている様子に、
「楽しそうだなあ、自分もこんな時代があったよな」
とボクは眩しく思い、羨ましく目を細めて眺めていた。
生徒たちも先生たちに比べ遜色ないくらい、奇抜なファッションセンスをしている。オーストラリアの公立高校は私服でもかまわないのだ。
キャップを被っていたり、ピアスをしていたり、化粧をしていたり、髪の毛をピンクに染めていたり、だぶだぶのジーンズをはいていたりと、思い思いのファッションに身を包んで決めている。こうして見ると日本の同年代の子たちとたいして変わりがないようにも思える。
メインスタッフルームでもそうだが完全に勢いに飲まれていた。ボクは金魚のフンのようにユミさんの後ろについて日本語の教室に行くばかりなり...。
日本語の教室はラングエッジのスタッフルームの斜め前に位置している。
「静かにしなさい! ちゃんと並びなさい!」
教室の入り口前にたむろしている子供たちにユミさんが大声で叫ぶ。暗黙の了解で規律ある軍隊のように、烏合の衆はびしっと整列を始めた。
オーストラリアの学校は日本と違い、生徒専用の教室はない。その代わり教科ごとの教室があって、生徒が休み時間ごとに教室を移動する。大学の講義のような感じだと思ってもらってかまわない。
「誰? 誰?」
ボクを見て目を丸くした子供たちは口々にそう云っているようだ。もの珍しそうな物を見るように一団の視線がボクに突き刺さる。見世物になっているボクは、どのように彼らのフィルターを通して映っているのだろう。
ここは底抜けに明るいニコニコ笑顔を出すべきか。憮然としてクールさを装うべきか...。難しいことは考えず自然にいこう。だけど引きつってしまい、のっぺりとした能面のような顔になっている気がしてならない。
これから8年生の授業が始まる。大きな子供たちが多いのではと思っていたが、意外と小さな子供たちが多いのに驚いた。『先生虐待!』とセンセーショナルな文字が以前から頭に踊ってビクついたが、それは余計な心配に過ぎないようだ。どんだけ臆病なんだ...。
この8年生たちは中学2年生の年齢とはいえ、小学校を卒業したばかり。初々しさとあどけなさが、さり気なく残っている。
この子たちとうまく交流をしていけるだろうか...。。
「Something New ~日本語教師アシスタント奮闘記~ その10」に続く。。。
(文・菅 雅壱)
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Feb 03, 2009, 01:55:07 まー wrote:
GOOD